2007年10月26日(金)
セントラル高校国立歴史地区
1927年リトルロックのダウンタウンに建てられたセントラル高校は、当時、アメリカで最も美しい建物と言われました。1929年、白人だけの学校であった、このセントラル高校のすぐ隣に、黒人生徒の為の学校、ダンバー高校が建てられました。そして、1954年、画期的な判決が下されました。これは、人種分離教育は違憲だという判決でした。1957年、全米黒人地位向上協会は、ダンバー高校から、成績の優秀な9人の生徒を、セントラル高校に転入させる手続きを取りました。これを知った市民は怒り、市民会を開き、話し合いを始めました。この黒人生徒の入学に反対する会に、フォーブス州知事が賛成したことで、騒動は勢いを増しました。
1957年9月4日、様々な危険に負けず、男子3人、女子6人の黒人生徒がセントラル高校へ登校しようとしました。しかし、知事は、州兵を出動させて、彼らが校内に入ることを阻止しました。全米黒人地位向上協会と白人グループの間の緊張感は、増すばかりでした。23日に、再度9人は、登校を試みました。何とか、教室に入ったものの、結局、白人生徒に無理やり追い出されてしまいました。この騒動を知ったアイゼンハワー大統領は、州知事にこの事態をまとめる力がないとし、空挺部隊1,200人をリトルロックに送りました。そして、この9人の生徒は、連邦政府の護衛を受けて登校しました。これがリトルロック危機として、知られる騒動でした。
緊張の続く中、9名は、何とか学生生活を送りましたが、軍隊が引き上げると、事態は悪くなる一方でした。その後、州知事は、リトルロック市内の公立高校を閉鎖しました。しかし、1959年、連邦裁判で、公立高校の閉鎖は違法となり、セントラル高校は再開しました。その年、9人の中で、4人が復学しました。
現在は勿論、白人、黒人の生徒が通い、世界各国からの留学生も受け入れています。国際教育に力を入れる、大変優秀な高校です。高校の正面には、博物館があり、当時の様子を詳しく紹介しています。
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